1月

 

 

 

24(日)   ドラえもん50+1周年

 

 

 

 正月の新聞に掲載された全面広告。2020はドラえもん50周年の年だったみたい。節目の年を盛大に盛り上げていくはずが、コロナの影響でダメになってしまった。で、去年の干支のねずみと、ドラえもんのネズミ嫌いにちなんでアニバーサリーイヤーを1年延長したのだ。ドラえもんのセリフがかわいい。

 

 

 

7(木)   川崎フロンターレ

 

 

 

 今暮らしている街に引っ越す以前、ぼくは神奈川県の川崎市に住んでいた。「応援するならホームチームを」と思っていたぼくは当時、川崎フロンターレのファンクラブの会員だった。

 その頃川崎のフットボールチームといえばなんといってもヴェルディ川崎。J1で常に首位争いに食い込む実力を持ち、全国区の知名度を誇る強豪クラブだった。フロンターレはJ2に甘んじていた。

 気が向くとぼくは川崎フロンターレのデーゲームを見に出かけた。休日の昼下がり、自転車で多摩川沿いの遊歩道をのんびり走っていく。ヴェルディ主催の時はサポーターでごった返す等々力スタジアム周辺もフロンターレの試合だと人はまばら。客席もアウェイ側はガラガラだった。客席にいかにも「休日のお父さん」的な格好をした、物堅そうな中年男性の集団をよく見かけた。想像するに、あの一団はフロンターレのスポンサーをしていた富士通やその関連会社の社員さんで、余ってしまった観戦チケットをムリヤリ押し付けられた人たちだったのではあるまいか?

 J2時代を知る者として、昨今の川崎フロンターレの活躍は実に感慨深い。ひ弱に見えた水色のユニフォームは今や頼もしく、客席は超満員。大勢でSHISHAMOの「明日も」を合唱して選手を鼓舞する。(ぼくはSHISHAMOのファンです)。メディアでフロンターレの報道を見るにつけ、ぼくは胸が熱くなる。

 引っ越しをして、東京三多摩地区に住んで15~6年になる。「応援するのは地元チーム」という自分で決めた謎のルールにのっとり、西武ライオンズのファンクラブに入って10年以上経つ。ライオンズは埼玉の球団だから厳密に言うとホームチームではないのだけど、球場がうちから自転車で行ける範囲にあるからオッケーなのだ。応援するチームのスポーツがサッカーから野球に変わってしまった。なぜなのかじぶんでもわからない。