6月
29(月) 七夕の願い事
近所のスーパーマーケットの売り場の横に、竹に似せた作り物が置いてあった。枝に何枚かの短冊が結びつけられている。そっかぁもう七夕が近いんだなと思いつつ願い事を読んでみた。「プリキュアになりたい ゆあ」とか「スイカをいっぱいたべたい ゆうと」などと書かれた中に、「ボケずにぽっくり死にたい」という短冊があった。名前の欄には峰子と書いてあった。今っぽいキラキラネーム風の名前が並ぶ中で、峰子という名はひときわ目立った。
峰子さんの願い、かなうといいですね。
26(金) 粉末のツユの素
ヒガシマルのうどんスープ、けっこうお世話になっています。うどんスープに限らす、何を料理するにしてもいろいろと活躍してくれる。小袋で少しずつ使えるのもひとり者としてはうれしい。
パッケージは上質な紙を使っているみたい。なかなか高価そうだ。もっとカンタンなビニールかなんかで包装して値段を抑えてくれたらいいのにな、などとさもしいことを考える雨の金曜日、夕餉まえのひととき。
22(月) 真実を知ることがひとを幸せにするとは限らない
小女子という名前の食べ物がある。ぼくはこの漢字をなんて読むのか長い間知らなかった。とりあえずぼくはこの小女子のことを、今までずっとオ◯コと呼んできた。オ◯コは女性器を意味する言葉です。主に関西地方で使われているんだと思う。スーパーマーケットなどで食材を物色中に、陳列棚に小女子が並んでいたりすると、「あっ、オ◯コ発見!」となるワケです。もちろん声には出さない。スーパーマーケットで食べ物を見ながら女性器の名をつぶやいてたりしたらかなりまずいことになってしまう。これはぼくが密かに楽しんでいる自分だけの言葉遊びなのです。
ぼくがココロの中でオ◯コと呼んでいるこの食べ物が「こうなご」だと知ったのはつい最近のことだ。時代小説を読んでいるときに食事の描写が出てきて、長屋のおかみさんが小女子をおかずにしてご飯を食べていた。小女子の漢字のヨコにひらがなで "こうなご" とルビがふってあった。
本当の名前を知ってしまった以上、これからはスーパーマーケットの惣菜コーナーで小女子に出会っても心の中であのゲスでステキな三文字コトバを連呼することはできない。残念である。真実を知ることがひとを幸せにするとは限らない。
ちなみにぼくは小女子を食べたことがありません。小魚の佃煮?
10(水) 点滅モードで電池は長持ちするのか?
ぼくの自転車についているライトは電池式で、点灯と点滅のふたつのモードを選ぶことができる。夕方、暗くなるとぼくは点滅モードで自転車に乗っている。チカチカさせたほうが、ライトを点けっぱなしの点灯モードよりも電池が長持ちするのではないだろうかと考えているからです。
会社で同じように自転車通勤している仲間にそのことを話すと、みんな一様にけげんな顔をする。おれの言ってること間違ってんのかな?
6(土) 伐採その後
近所の駐車場の横に植えてあった木が伐採されたことを以前ここに書いた。サルスベリはご臨終みたいだけど、ハナミズキは幹の横っちょから新しい葉を芽吹かせてなんとか生きてる。「もう枯れたっていいや」と思い切りよく伐採した木に限ってしぶとく生き残る。植木屋あるあるです。